

よりよく生きるための学び。それぞれの幸せを広げる未来を創りたい。
誰にもチャンスを渡せる教育現場の創造は、今、全国、そして世界へ。
さくら国際高等学校
理事長 荒井裕司氏
インタビュー概要
荒井理事長に戦後の日本の教育システムの問題点、特に不登校や引きこもりの子どもたちへの対応についてお話しを伺いました。先生は、東京での教育活動から始まり、現在は東京や長野県で通信制高校を運営し、全国認定校の展開もされています。
エピソードとして過去、先生は40回以上の家庭訪問を通じて、ある深刻な悩みを持つ家庭で苦しんでいた生徒の支援に成功した事例も紹介してくださいました。
また、ラオスなど教育支援活動についてもお話し頂き、世界的な視野での教育の重要性を教えてくださいました。現代の子どもたちが直面する課題として、スマートフォン依存や内向きな心の傾向について、先生の教育理念である「世界とつながる教育」の必要性をお話し頂きました。
ポイント
□教育の原点と実践的アプローチについて□
荒井先生は、最初、東京で何気ない子どもたちとの出会いから教育活動が始まった経緯。生活に根ざした教育の重要性、ザリガニ取りや木登りなどの体験を通じて、実学的な学びの必要性をお話し頂きました。
不登校問題への取り組みと通信制高校の設立
荒井先生は、中学浪人の生徒たちとの出会いから不登校問題への取り組みを開始。現在は通信制高校を運営し、全日制の学校と同様、また仕組みとして画期的な教育環境をつくり提供されています。その中で特に、起立性調節障害などの特別なニーズを持つ生徒への対応についても詳しくご説明頂きました。
国際的な教育支援活動について
荒井先生は、ラオスでの教育支援活動について説明。また今後、ネパールでの現地校の設立計画や、日本の企業との連携による人材育成プログラムについても語って頂きました。まさに通信制高校のカリキュラムを世界とつながる教育に拡充する可能性を強く感じました。
インタビュー
インタビュア:
最初に、荒井理事長の教育の原点、そこからお願いいたします
荒井理事長:
私が教育の業界に入った最初は、東京での七人子どもたちと公園などで遊んでいるうちに仲良くなって木のぼりやザリガニ取りとかを教えるようになり、やがて私のアパートへも遊びに来るようになったところからです。
そこで勉強についての話も聞きました。私立の有名で名門学校に通っている子どもたちが多く、よく勉強ができる子どもたちばかりです。
子どもたちに「1mってどれくらいか、わかる?」と問いかけたら、すぐに「100センチ!」また「1kmは?」「1,000m!」「1kg1,000g!」とか答えとして正しく返してくるわけです。ですが実際の1mってどのくらいの長さかなって聞くと、体感として全くわからないとなるわけです。 学んだことが生きていないこと。私からすれば、これは大変なことなんだよと伝えました。ただ公式を覚えたり記憶として数字だけを覚えたりすることだけが勉強ではなくて、実際にそれを生きていくために使いこなすことが大事なことだと伝えたところ、その素直な子どもたちは、即座に受け止めてくれました。
勉強よりももっと先にやらなきゃならないことがいっぱい。 例えば魚釣り、山登り、それから木登りやザリガニ取りなどでした。例えば、ザリガニ取りに行ったら、水槽の大きさを考えなければならない。 水槽はザリガニより大きいものでないと水槽に入らない。そこで必要に迫られて測って見たら、35センチ以上のものが必要だということで、そこで初めて必要で生かされた「ものの長さ」がわかるというように、記憶力だけの教育だけではなくて、ちゃんと生活の中で生きる力に直結させる、そこからもう一度子どもたちを教えていく必要があると考えていました。
そのあと、たまたまその7人の子どものお母さんが、うちの子どもたちが荒井さん、荒井先生に勉強を教えてもらいたいと切り出されたわけです。その言葉からその子たちの塾がスタートする、そんな始まりなんです。
インタビュア:
そうですか。そんな出会いからなのですね。それがただの公式だけ覚えていくというクイズのような教育とは違うところですね。
荒井理事長:
やはり全人教育(知識や技能だけでなく、感性や個性なども重視して、人間性を調和的に発達させる教育理念)。公式や形式だけの勉強ではなくて、生活に根付いた勉強を教えていこうと思い塾をつくり、その思いも日々子どもたちに伝えました。子どもたちと一緒にいろんな体験をする。数々の大小、成功体験させていくことが私の教育の原点です。
インタビュア:
子どもの気づき、「実学」と言えばいいのでしょうね。
荒井理事長:
そうですね。公式も覚える勉強も、やるべきことはちゃんとする。そしてその他に大事なことをいろんな体験、経験をすることで全ての学び、勉強したものも生かされると思いました。 ですから机に向かった勉強もやるならとことんやるよと言い、朝7時から一緒に勉強もしました。
インタビュア:
そうですか。教え方に無駄なものが一切ないのですね。
荒井理事長:
そうですね。こういう順番です。親から押し付けられ、やらされる勉強ではなくて、自分から望んで学びたいという心を待つようにしたわけです。
インタビュア:
荒井理事長の子ども時代もそうやって学んだという体験があったからでしょうか。

荒井理事長:
そうですね。全て自分の実体験がありました。
私が子どもの頃、川で魚を捕るのは、うちにおかずがないから(笑)。おかずにするためのもの、山に行けばぶどうなどいっぱいあるわけです。それを食べて生きていかなきゃいけないわけです。
生きていくっていうことに直結しているわけですよ。私も母親と一緒に畑に行き、耕し、育て、それを食べるということですよね。 全て生きていくことに繋がっていくわけです。それはもう休みの日でも何でも親に連れられて、山の畑まで行きました。遊ぶ暇なんてない、そういう時代でしたからね。それこそ不登校で学校行かないって言ったら、何をしてるの!早く畑行くよと連れて行かれますね(笑)。
インタビュア:
その時代、荒井理事長は何年のお生まれですか?
荒井理事長:
私、昭和22年生まれです。ちょうど戦争終わって、日本がこれからというころです。生活も苦しい時代です。
でも実際に様々なことを教えてもらっているわけです。全て生きること、食べることに直結している。
自分の畑で作ったもので食べていけるならいいけど、売りに出さないとお金が入らない。私は長野の山の中で育ちましたすから海のお魚は買うしかない。鮭も秋刀魚もいないわけで買わないといけない。そのお金を捻出するために、白菜や他の野菜を作って出す。 キノコを取ってきて出すとかしないとお金にならないわけです。
インタビュア:
その当時、幼少の荒井少年からすればそれは苦しかったですか?楽しいかったですか?
荒井理事長:
苦しいですよ(笑)。だから、さっき言ったように、もう学校に行かないなんて言ったらもう畑連れてかれちゃう。畑に連れて行かれないうちに、もう学校行っちゃうみたいなそういう時代でした。
インタビュア:
その時代から考えれば、今、学べるというのは本当に幸せなことですね。
荒井理事長:
それは幸せですよ。本当幸せ。例えば当時、本が読めるなんていうことは、幸せで先生が主導で生徒みんなでわらびをたくさん取って、先生がそれを市街地で売ってくれてお金を手に入れる。そしてそのお金で先生が本屋さんを呼んで体育館にたくさんの本を並べて「好きな本を買えよ!」と。みんなが自分でわらびを取ってきたお金がもらえて、みんな平等に好きな本を買える。もうこんなに嬉しいことはなかったですよ。
インタビュア:
心が求めていることをちゃんとその先生も理解して、そうしてくださるわけですね。
荒井理事長:
そうです。 それはもう、何とも嬉しいこと。もちろん家で簡単に本なんか買ってもらえる時代じゃなかった。先ほどのようなこともあり、喜んで本を読むことを覚え、楽しいと思えるようになり、それから私、読むだけではなくて自分で書くことが好きになり、いろいろ書きましたよ。
さらに新しい本が読みたいとなれば、その先生は、一年中、山にわらびがあるわけじゃないので、君が欲しい本あったら、それは先生が私からお父さんお母さんに言うから、 それを買ってもらいなさいと伝えてもらって本を買ってもらうチャンスまで作ってもらったりもしました。
インタビュア:
どんな本がお好きだったのですか?
荒井理事長:
私は芥川龍之介が大好き。面白かったですよ。いっぱい買って読みました。
私は小説家まではいかないにしても、当時、新聞記者になることが私の夢でした。その夢がありながらですが私は出版社に入社しました。給料が良かったこと(笑)。それで家の再興をしてくれと言われたからなのです。
うちが特に貧しかったのは、当時、絹糸の会社を経営していましたが世界恐慌のあおりで日本中の製糸会社が潰れてしまい私の家も同じように潰れてしまって、土地とか田畑も全部なくなりました。ですから、父親は丁稚奉公に行くようになったりして、跡継ぎ、家を再考してくれと、祖父も祖母も「お前が再興するんだ!」とか言われ、素直にまず給料の高いところへ就職し、それでその金を使って家を再興するんだと、そんな動きを最初はしました。先ほどお話ししたように、何とか生きていくための、その生活の手段のために、いろいろ努力していました。
インタビュア:
初めは家を支えるという名目で、出版関係の仕事。だからご自身の意思とはちょっと違うのですけど、でも書くという好きなこと。そこはあるわけですね。そこからいろいろあって、さっきの子どもたちで出会って関わることになり、そのことがまた運命的な出会い。塾から現在のこの学校になるのはどのような流れでしょうか。
荒井理事長:
私はどうせ塾やるなら、体験を通じて学ぶ。行事などもとことん入れて、理想的なカタチで組み立てました。でもそれに加えて、学力もつけなきゃいけない。そこで、とことん学力をつけるための工夫もしました。 例えば学校の中間テストとか期末テストの前は私の塾に泊まらせて、そこから学校行かせたり、夜は女房にご飯を作らせたりして食べさせて、とことん勉強して、そこからまた学校へ行かせる。
自宅へ帰ったらすぐさま寝てしまうから駄目だとなり朝までやる。そのときはそのぐらい徹底しました。また夏休みの夏期講習なんて朝7時から夜11時まで。だから成績は上がりますよね。その後、生徒がどんどん増えましました。
インタビュア:
勉強する習慣が、先生ところに行けばつくような感じですね。
荒井理事長:
そうですね。
インタビュア:あとそれと、子どもたちの気持ちが先生の方に向き、信頼関係がないと続かないですね。
荒井理事長:はい。子どもたちは本当に懐いてくれましたよね。 そう信頼関係できていました。驚くことに当時、中学浪人になる子たちがすごく多かった。高校受験に失敗した子たちが私のところに訪ねてきて、なんとかして予備校みたいに昼間も授業してほしいという声が強まり、それで塾を予備校にしたんです。
でも当然、生徒数名ではままならない。受験雑誌に小さな広告を出稿しました。そしたら全国からたくさん来たのですよ。北海道から沖縄まで全国からいっぱい。 当然中学浪人で、うまくいかなかった子たちの進路指導で驚くべきことがたくさんありました。 オール1の評価しかない子たちがいっぱいいました、 「なんだ君たちこれはどうしたこと?」と聞くと、「学校行っていないから評価がついてない」と。その頃から不登校があり、始まっていたわけですね。
インタビュア:
何年頃のことになりますか。
荒井理事長:
昭和35年ぐらいです。そういう子たちを見て、びっくりしました。 なんで学校にいけないのだろう。同時に何とかしてあげたいと思いが強まりました。 当時、私は代々木に校舎を作りました。当然、電車でも登校しやすいはずです。でも学校を不登校の子は代々木まで電車じゃなくて車で来るのですよ。
何故なら車だと家出るときに隠れていられるから、周りの人たちに、学校に行ってないのが見られてしまう。車だと、ひとまず家の周りは誰にも見られない。それこそ当時は学校に行けていないというのは、その子どもたちにとってはすごくいけないこと、もうどうしようもないこと。家族の恥みたいな、そんなニュアンスがありましたね。
だから必死になって子どもたちも隠れてきたんですよ。 そんな繊細な子たちと関わってうちに、何だよ!この子たちはいい子たちじゃないか!とみんな素晴らしい子たちじゃないか!どうしてこの子たちが学校に行かないんだよ、何があって普通に学校行けなくなるんだよ!いうこと、もう不思議でしかたなかったわけです。
その子たちと接して感じたことは、やはり日本教育の画一的な教育の制度、それから親から受けたプレッシャー、あと、いじめの問題がたくさんありました。 それは経済優先の時代の中で、親も子どもの方を向いていないということ。その当時はみんな首から家の鍵がぶら下げていました。

インタビュア:
「鍵っ子」ですね。
荒井理事長:
はい。親は働きに行ってお家に誰もいない、だから鍵持って学校へ。
親はもう仕事のこと、お金のことばかりに目が向く、だから子どもの方、向いてなかったっていうこともあるわけです。そういう状況を見て、その子どもたちは 親の愛情を受けられていない、親の思いが届いていなかった、また繋がっていない、そういうことがあると思いました。
インタビュア:
高度経済成長の中、そんなことがあったのですね。
荒井理事長:
高度経済成長の被害者ということかも知れませんね。例えば子どもを抱っこするときもやはり親は子どもの目を見てほしい。例えば当時、内職をしながら子どもを育てたとしても子どもたちの方を見てないということがとても多かったように思います。だから、そんなことも影響して当時はもうすごかった。 中学校同士の抗争。中学生が、バットや木の棒を持って戦う。 そんな時代ですから当然のように、いじめもひどくて。そのことで悲しい結果を見ることになる。残念としか言いようのないこともたくさんありました。子どもたちが大事にされなかった、ちゃんと見守られていなかった、そういう時代だったのですよ。
インタビュア:
私もあの荒れた時代を思い返すと、昼間の学校は教育の現場だったと思えない状況でした。卒業証書、その資格をもらうためだけに行っていた人も残念ながら多かったような気がします。
荒井理事長:
そうですね。そういうところで落ちこぼれてしまった子どもたち。「落ちこぼれ」ということばは私自身大嫌いですが、そういう言葉を使い、学校でもそう、家庭でもそう愛情をかけてもらえなかった子どもたちが、当時、私が向き合った生徒たちだったわけです。 だから余計によくわかりました。
インタビュア:
当時、そんな気持ちを持っていても受け皿そのものがどうでしょうか。
荒井理事長:
受け皿がなかったわけです。だからでしょうね。生徒募集説明会のセミナー広告の反響に驚きました。朝から電話が鳴りっぱなしですよ。こんな経緯もあり、セミナーを開くことにしたのです。驚くことに成人して20歳、21歳でこの学校に入りたいと言ってくる子たちが「そういう学校があるのは知らなかった!」というわけです。
そこでちゃんとした情報発信の機会を作ろうとなりセミナーが始まりました。 最初のセミナーを開いてからすでに25年ぐらいかと思います。当時、セミナー開催に、少し広告出稿したわけです。たくさんの問い合わせ電話が鳴りました。最初の原宿の公民館。結構立派なのですが原宿駅からかなり遠いのです。驚いたことに、そのセミナー会場受付から原宿駅まで行列で人が繋がったんです。周りからも、なんだこれは、何があるんだと大騒ぎに。 それくらい人が溢れかえり、その様子にびっくりしました。
インタビュア:
驚きですね。社会の盲点というか、たくさん子どもが産まれて学校や教室作って、たくさんの先生を送りこみ教育現場をつくったものの中身、実態がついて行けなかったと。
荒井理事長:
後になってから、当時の様々な立場の先生と話をしました。実際、対応する先生も必死だったと。 生徒数は多い、トラブルは連続する、学校間抗争も含め、ずっと問題が続いていましたから。確かに先生も必死ですが手が回らない。だからうまくいかない子ども、あるいは意見も言わずに縮こまり生きていけないという思いをする子どもたちはみんな、ほっておかれたというふうに思い。
さらに先生自身が対処できなくなってしまった。その時、自分たちはできなかったから後々になって、その当時、先生だった人が、この学校に来て、私たちにも手伝わせて欲しいと。昔、校長先生だった方なんかも、ぜひ一緒、ここに参加させて欲しいとおっしゃいました。 ここはそんな思いを持った先生もあり、子どもたちが我々を信頼してくれるわけだと思います。本当に信頼したうえで、寄りかかってきてくれる感じなので、私達も嬉しいですよ。よし、一緒に頑張ろうなって気になりますよ。素直で真面目な子たちが私達に信頼を寄せてくれる気持ちが私達にも伝わるじゃないですか。 だからもう本当に嬉しかったですよ。
インタビュア:
心が寄せられる居場所ができるって、嬉しいですよね。
荒井理事長:
それは嬉しいですね。だから信頼関係のある学校生活が送れ、なおかつその後までずっと。みんな訪ねてきてくれますよ。
それがまた嬉しいですよね。驚くことにいまだに、その当時の第1期生、2期生なんかも訪ねてきてくれます。もう、こんな歳になりましたとか結婚しましたとか色んな報告をしてくれます。様々な人生経験を見せてくれます。私達としては、さっき言いましたようにこの学校を作り、ありとあらゆることを体験してもらい自分たちが今までやってこなかったような体験一つずつ、組み立てて、実践することを重要視しました。勉強したい人はもちろん勉強してもらいますが、根底にあるのは全人教育。勉強以外の経験、様々な体験、そこから得られる人生の学びを受容することに注力してそれを継続させてきました。

インタビュア:
なるほど。勉強のための勉強ではなく、要はよりよく生きていくために勉強するのだということ。学校の活動を見せて頂いていて感じるのは、体験を通じそこから始まる学び、それはひいては自分のためであり、社会のためで世界のためにもなるということですね。
荒井理事長:
その当時から、こんなにたくさんの子たちが、家に引きこもったままで出る機会がなくていたら、その国としては大損害だと。つまり、ちゃんと大人に成長して社会に参加して、社会人として働き、もちろんそこで税金を払うという公で必要なことをちゃんとすること。見逃せば、働くその場がないという問題にもなり国としても税金も入らない、国民みんなで支え合うっていう仕組みが成り立たないからそれは社会としては、大きな損失ともなる。今も引きこもりは増えていて130万人とも。
私もある機会があり引きこもり対策プロジェクトチームの委員として、参加させて頂きました。各省庁の課長係長クラスの人たち、国会議員が40人ほど参加していました。引きこもりの児童数は推計 130万から150万人とか。それでその対策のために研究プロジェクトチームを作って、政府に提言。予算編成され地方自治体および民間の団体で活動。その提言は認められて行動してきました。内情を調べていると、我が校でも様々なケースがあります。それぞれ個々に。多くはありませんが児童相談所を経てくる子どももいます。しかしながら大半は家庭内で、子どもたちが強いプレッシャーを感じて動けなくなったというケースが多いわけです。もちろん全員が当てはまるわけではありませんが多くは親が医者だったり、弁護士だったり、あるいは社会の上層部であったり親が一流大学出身や医学部出身だとか。
原因を伺うと親は、そんなことを子どもには強制したことはないですよ!となりますが、子どもの気持ちに寄り添わず、尊重せず、小さい頃からずっとプレッシャーを与え続けたことにより、子どもたちが自分の生き方とか、自分の考え方で世の中に出るというエネルギーそのものを、なくしてしまう、そんなことが現実に起こっています。 それで、「私はもう学校にも行きたくない」そういう意識にまでなるのです。親としては、子どもの幸せ考えるのは当然、幸せになってもらいたいと。 でも、それは親が引いた道を歩きなさいということを押し付けるのは違うから。親の思いまで、あるいは思わぬ親の希望まで肩に乗せて歩いていきなさいなんてね。それは重すぎますよね。だからそういう親がかなり高学歴だとか一般的な伝え方をすればいわゆる社会の上層部のような人たちの子どもに限ってね。親の職業とは違う道を行きたいというわけです。
例えば、親が求める偏差値。偏差値で評価される自分じゃなくて、その偏差値を当てはめることができない音楽の道や芸術の道を望むということもあります。親が偏差値を見せて見ろと言ってもわからない世界。そういう道を希望する子たちも多い。それは子どもたちの、持っている奥の手。親のプレッシャーから逃れるためかも知れない。でも私はこれも大事だと思っています。自分自ら、良いじゃないかそれは君の好きな道、進むならといいねと。逆に真面目で、自分の心に嘘をついてまで親の言うことを神の声みたいにして聞く子たちはいつかプレッシャーで潰れてしまうことが多いのです。
一例をお話しします。あるご家庭、先ほどお話ししたような経歴をお持ちのご両親、お二人とも荒れてしまった子どもについて悩み、もう生きてはいたくないとも思うような切実な状態でした。なぜかこの学校のことを知り、ご依頼を受け、私が家庭訪問を繰り返しました。
引きこもりの子どもの部屋。ドア越しに話しかけること40回以上続けました。当然、最初から上手くいくはずもないわけです。でも人と人、対等に彼と接したかったので彼がしている行為や態度について媚びることなく丁寧に諭したわけです。そうしたら彼の方から42回にしてようやく閉めたドア越しではなく、直接会いたいと言ってくれました。初めての対面は本当に嬉しかった。それからなんと私の学校に来ることになった。卒業後、彼は働き、親とは違う職業についています。そしてつい最近、丁寧な口調で電話がありました。40歳を越えたけれども、大学に行きたいから高校の調査書をお願いしたいというものです。最近のことですが希望した国立大学に合格したという喜びの知らせがありました 。
インタビュア:
すごい話しですね。その子が欲しかったのは先生のように自分に向き合ってくれる人だったわけですね。
荒井理事長:
どうですかね(笑)。私、その子からすれば正直に嫌なことズバズバ言いましたから。家中荒れてしまっていたこと。親の気持ちのこともね。 逆に強く感じたことは、そういう子どもがどのぐらいのプレッシャーを受けていたかということですよ。 先ほどもお話ししたご両親のポジションを子どもに押し付けることなんかでこういう反応も起こるということにもなるわけです。
インタビュア:
でも幸せなことですね。こうして巡り合えただけでその子もその親御さんの人生が変わることは。
荒井理事長:
そのようなことも踏まえて私は全ての子たち、親御さんに決して諦めてほしくはないと思っています。だからその思い出私は本を書きました。7冊8冊ぐらい、それがおかげさまで多くの図書館に買っていただいて設置して頂いている。様々な図書館で私の本を見てライフワークとしている家庭訪問のことを知って、「先生来てくれませんか?」と電話が全国から来るわけです。そして「行くよ!」と応えて足を運ぶのです。
関東はもちろん北海道、東北、北陸、九州までも全国。遠方は移動だけで時間がかかりますから初日訪問。その日、ビジネスホテル泊まって次の日も再度お昼ごろに訪問。それこそバットで殴られそうになったこともあります。もうすごく様々なことがありますけどそんなものもは全然平気。 何ともないですよ。 私も立派な発達障害の多動ですので(笑)。
インタビュア:
そんなことないですよ。それだけ思いが伝えたいからでしょうね。
荒井理事長:
私は心底、もう多動でも何でも利用してなんとかしてやろうと思う気持ちを持っています。それこそ孫悟空のようにね。毛を抜いて私の分身をいっぱい飛ばせたらとも思ったり。
インタビュア:
でもここにいる先生は荒井理事長のそういう思いをちゃんと理解しておられますよね。私も何名かの先生にお会いしましたがそう感じました。
荒井理事長;
それはおかげさまで、理解してくれていますね。だから、うちの生徒のところの家庭訪問はみんな結構頑張って行ってくれてます。
インタビュア:
孫悟空の分身に頼らなくても(笑)。お話しを聞いていて思うのは、そんなことを経験した子どもたちの心は本来、善なのですね。
荒井理事長:
そうですね。基本的にそうです。
インタビュア:
何かプレッシャーで蓋をせざるを得ない、それが取れれば、素直さが出てくるわけですね。昔の親と今の親、荒井理事長から見てどう感じますか?
荒井理事長:
違いますね。今の不登校の子たちの親は多くは過保護であることが多いと感じます。 どっちかというと子どもが、もうそこにいないと駄目みたいな感じが多いです。親離れ子離れができてない家庭がたくさんあります。
先にふれたように、相互理解やお互いの尊重する気持ちが大切で子たちの自立のために信じて、その子を尊重してほっておいた方が子たちは、結構ちゃんと成長すると私は思います。 自立のため、ほっておかれた方が嫌なこともつらいことも全部することになり、子どもたちは見事に成長していくように思います。不登校になる理由は他にも様々、ずっと学校小学校に行ってなければ、勉強もわかんないですよ。
私も小学校五年生ときに一週間ぐらい学校を休んだことあります。 もう全然授業わからない、ついていけない。何か宇宙に来たみたいな気がして、もうこれは大変なことになるって思ったことあります。 それをずっと行ってないんだから、勉強なんかわかるないし楽しいはずはないわけですよ。 当然、そんな学校なんか行きたくなくなりますね。
例えばアニメを描くのが好き、動物たちと関わるのが好きと思っていたとしますが通常学校は決まりきった、公平平等のもとに能力の差もあるのに、同じ授業をずっと続けていくわけです。 授業内容が全然わからない人が2割ぐらい。
わかっている人が3分の1ぐらい。 あとは、とにかく聞いてるというクラス編成ですね。学力別になんかしたら親からとんでもないクレームが来てしまうから、それはできない。学校も苦難の真っ只中という感じではあります。 学習指導要領に合わせて進まなきゃならない。 先生もわからない子たちは認識しているけど、もう放っておくしかないみたいな状態になる。 それは能力差がついて当然です。
今はね、塾が子どもたちにとって救いの道だったりするんです。なぜかと言えば、塾はその人の学力に合わせて個別指導し、みんなその子に合わせて教えてくれるじゃないですか。 これは子どもたちにとってはとても理解できて、同じことでも面白く教えてくれる。だから学校に行かない子どもたちも塾は行きたいと思ったりするわけです。
インタビュア:
なるほど、そうですか。
荒井理事長:
一斉授業にしても、面白おかしくやってくれる。できないところはできないなりのそのクラスを作って工夫する。この習熟度別でやってくれるからいわゆる第二の学校、そういうその学びの場、子どもたちはそれを得たいと思って塾に行きます。 塾もその辺のところ良くわかっていて、この多様性の時代にそれぞれ個性、学力の差ももちろんあるわけだから、それに合わせようとしている。 しかしながら塾も子どもたちも限られた時間の中、なかなか毎日塾に行くわけにいかない。1日2時間とか3時間しか設けられない。
そして先ほどふれた今の子どもたちの不満とかニーズに応えられるように、通信制の高校がすごく人気なわけです。体調が悪くて行けないときは行かなくてもいいし、自分のペースで学習できる。 またわからないところは残って教えてもらえるようなところ。 通信制の高校の本当に人気の高いのはそこです。
インタビュア:
通信制だと、その子どもたち同士の関わりというものがないのでは?
荒井理事長:
いやそれは違います。 私たちの学校は週5日通学コースと、通学が難しい、あるいは芸能活動など打ち込んでいることとの両立を目指す生徒のための集中スクーリング型コースがあります。生徒一人ひとりが自主的に、自分のペースで好きなことを伸ばし、自分の個性を大切にする教育を行っています。ただ単位を取る仕組みが通信制の制度を利用しているだけですよ。
インタビュア:
なるほど。
荒井理事長:
だから登校しなくても、年間に何日間、10日も年間に出れば、そこでもう単位の認定はされる。 テストを受けさえすればできるわけですから、全く出席が前提でないというか自分のペースで組み立てていくことができるわけです。うちの学校の中に起立性障害の子たちとか、何らかの病を抱えている子もいます。だから普通の学校だといつ手術が行われるかわからない。 もし手術したとしたら、欠席したところの単位が取れなくなるようなことがあります。ですから全く自分のペースで通える学校が良いということで、ここに来てくれるわけです。部活もほぼ全てと言っていいくらい文化部、体育系の部活もたくさんあります。

インタビュア:
部活の写真を拝見しました。
荒井理事長:
本当に全日制の高校と全く一緒です。 ちょっと違うとすれば朝9時半から始り、逆に遠くからでも通える。朝ゆっくりいいんだよというスタート時間です。先ほどのケースのように自分のペースで。例えば起立性調節障害の生徒は月曜日とか火曜日は来れなという生徒は来ないでも、単位がちゃんと取れるわけです。子どもたちとすれば、登校のプレッシャーで学校行けなくなる子たちもいるわけです。
通常なら、どうしても行かないと単位がもらえない。 でも、行かなくてもいいとなったら、逆になぜか行きたくなるとか(笑)。 それでのびのびと自分のペースで単位を取り卒業していく子たちがいっぱいいます。ある名門高校の校長先生がこう言っておられました。「日本の高校教育改革するのは通信制の高校だ。」と。つまり、仕組みが良いと。私自身もこの仕組みが今現在、一番いいなと感じます。例えば定時制でも、30日ぐらい欠席、もう単位はもらえないとか。試験を受けてさせてもらえない。
しかも学年制で行く通常の高校は、月曜日の1時間目の国語のその時間だけ行けない子は、全ての他、授業に全部出ていたとしても、その国語の単位が取れなければ、学年制ですから全部単位が0になり、次の年に単位の取り直しなんです。そんなルールが残されたままです。単位制の学校もできてきてますけど、これもこれからの課題となるでしょうね。 子どもたちは、持病があったり、自分の体調の都合で登校できなければ、固定した曜日の固定した時間だったりすればもう単位は取れないわけですよ。 そんな仕組みはおかしいですよね。
インタビュア:
確かに。それを例えば、文科省など国は変えようという動きにはなっていますか。
荒井理事長:
概ね公立の先生がみんな反対しますでしょ。今までやってきたやり方が違うということになるといろんなとこ変えざるをえない。現在、約9%が通信制の高校の生徒なのです。以前、文科省の担当官に質問したところ、文科省の考え方そのものは個人的に述べることは差し控えるけれど、ただその方、個人の感覚では30%程度までいくだろうと言われていました。 3人に1人は通信制の高校という時代になる可能性は高いと思います。多様化のこの時代ですし、子どもたちにとって、こんないい仕組みはないからです 。

インタビュア:
ストレスがないですね。
荒井理事長:
ええ。 子どもたちにとってね。 学びたいものを学びたい、つまり勉強する力を伸ばして例えば東大行きたい人は、行くことが出来るわけですよ。動物の勉強をして動物園で働きたいという子もいるわけですよ。 あるいは水族館での仕事やドックトレーナーをやりたい子もいるわけです。 その子たちのいい勉強の手段があるはずです。 官僚になりたいなら、なりたい道を行けばいいわけです。 それぞれ自分のやりたいことや好きなこと。幸せになる道をそれぞれ探って歩んで欲しいと私は思います。
インタビュア:
だから、画一的な勉強だけでは考えにくいですものね。大人もそうですよね。
荒井理事長:
そうですよね。自分のやりたいことをやって生きていく。それで生活してゆく。愉しいことじゃないですか。みんなが愉しい。それが幸せになる道が私は真の「道」だと思います。 私達も子どもたちの嬉しそうな顔見れば幸せですよ。
インタビュア:
そうですね。最後に先生の目指す理想の姿を教えて頂きたいです。
荒井理事長:
今の子どもたちはやっぱり内向きの子たちが多いんです。好きなことをやりながら、世界に目を向けてもらいたいな。例えば同じ好きなことやってもね、世界に繋がるようなことをぜひ、やってもらいたいんです。
世界中にいろんな人たちがいて、生きてるわけだから。生かされているから。自分さえ幸せになればいいという考え方ではなく、みんなと一緒に生きていく、そういう視点、私達は大事だと思っています。だから学校で取り組むラオス支援ももちろんそうですし、別な国の子どもたちといろいろな意味で関わるということ。そういう子どもたちがいっぱい増えて欲しいと思ってまいす。
だから私は例えばイラストが好きな子がいたら、そのイラストを通じて、もっと世界と繋がっていく挑戦をしてもらえたら幸せだなと。
動物たちと関わることが好きな人は、そういうことでもっと世界とも繋がっていくとか。 ラオスに行けば、国の事情を見て、そうか、ここの国には医療事情が悪くて医者がいない、なら僕は医者になり助けたいということを思えるような、子どもたちにそういう世界観や希望を持ってもらいたいと思っています。ですから子どもたちをラオスにも積極的に連れて行きます。また自然体験もいろんなことを体験してもらい、その中からやっぱり自分の好きなもので、世界と繋がっていくようなこと。だってもうそういう意識を持たないともう今、この日本の中の価値観や世界観だけでは生きていけないとも思います。
インタビュア:
そうですね。私たちがいろいろと不安に思っているのは、多くの大人の興味が内向きなこと。例えばキャンプをするにしても、利己的な立ち振る舞いや小さな殻に閉じこもることに意識が向いていることを目にすることがあります。外に出て挑戦するという子どもがいると思えば、大人も奮い立ちますね。世界を体感して自分の殻を打ち破り、世界を歩く未来の大人たちを想像します。先生どうしてそのようなラオスでの活動なったのですか?


荒井理事長:
これはね。子どもたちから「行きたくても学校行けない子たちがいるとは。それはかわいそうだよ。」「何とかそんな国にも学校を作ってあげたい」と言い出したんですよ。子どもが最初に出したんですよ。なぜそれでなぜラオスだったかったかというと、世界で一番貧しい国を探す中でやっぱり未開に近いアフリカの奥地となるんです。しかしここからじゃアフリカの奥地はなかなか行き来できそうにないとのことになり、子どもたちやみんなで話しあった時、同じ仲間アジアの国の中で探すこととなり、カンボジアとラオスに絞られたわけです。 すでにカンボジアの支援団体は結構多くありましたし、次にラオスを調べたら偶然、ラオスを支援している私の友達がいて彼に頼んで向こうでのコーディネーターを紹介してもらいスタートすることになりました。
ラオスの人から学ぶこと多いですね。何しろ絆が深い。特に家族の絆もすごいですね。そういうのをうちの子どもたちが見て、「私たち毎日ゲームしてスマホ見て、本当にこれでこのままでいいのかな?」って思うようになるんですよ。
インタビュア:
先生の視点から考えると、もう日本を飛び越えていろんなところで、本当に教育が必要としている現場に、少しでも灯火をと考えておられるのですね。
荒井理事長:
私は相互理解と相互互助。win-winの関係がつくりたい。
例えばネパールにこの学校のような学びの場を作って相互の国に役に立つ人の育成に寄与したいとか。
インタビュア:
それは搾取ではなく、労働力確保の派遣ではない仕組みということになりますね。
荒井理事長:
お互いの国により良い学びの架け橋。より良い未来も創れますからね。
私はそれも目指しています。
インタビュア:
貧しい国と言っても先ほど先生からお話しのように昔、私たちのこの国もそうでした。荒井理事長、ご自身も子どもの頃、恩師が支援してくれた本などから、学びから気づきを得て、弱者視点で現場を見て、それが今日たくさんの子どもたちにつながり、そしてまたアジアへの架け橋をつくるなど、一筋の光のような想いを学ばせて頂きました。世界中に可能性の輪を広がる。そんなお話しでした。ありがとうございました。